パパ・ママの日記から
(容態の経過がわかるよう、ポイントとなった日の日記を抽出しました)
(生命の大切さ・健康のありがたさを痛切に感じました)
2000年10月13日(金)
母さんがam5:00頃突然破水した為、午前中病院に行った。予定日は31日とまだ2週間半後だったが、なんか今日産まれることになりそうだ。pm1時頃から本格的に陣痛が始まり、約4時間半後のpm5:30にお前が誕生した。待ちに待ったお前の誕生!3,118gの男の子!こんなに早く産まれたのに大きい!(出産予定日は10月31日のハロウィーン!?)当日は信三おじいちゃん、弘子&みち子おばあちゃんも来てくれ、みんなでお前の誕生を喜んだ。
これから母さんと一緒に楽しい生活を送ろう。
10月14日(土)
午後、始めての授乳だが、お前は全然飲まなかったみたいだ。授乳室が混んでおり、母さんは出されてしまったみたい…夜の授乳も全然飲まず、母さんは泣きながら電話をかけて来た。
10月15日(日)
am8:00頃、母さんから電話があり、お前が明け方血便をし、保育器に入れられたとの電話があった。ビックリして、急いで病院に行くと、先生から内臓に問題がある可能性があり、大学病院へ移送するとの説明があった。藤が丘の昭和大学病院にpm12:30に救急車で移送され、すぐNICUに入院となった。その後、千葉先生(お前の主治医)から説明があり、腸の回転ねじれか腸閉塞の疑いがあり、緊急手術が必要とのことだった。非常にびっくりし動揺したが、緊急を要するとのことだったのですぐ承諾書にサインをした。pm3:00から約3時間の手術の後、お前は無事病室に帰ってきた。手術室まで出迎え、先生に容体を尋ねると、「今は大丈夫だが、もう一度手術が必要」とのことだった。病名は「小腸の回転異常」で、1mある小腸のうち正常に機能しているのは上部の約10cmだけとのことだった。生きるには、最低20cmは必要であり、残りの90cmのうち少しでも回復するのを待つしかないとのことだった。容体を見て早ければ24時間後、遅くでも48時間後に再度手術を行うとのことだった。できれば48時間待って極力回復する時間を稼ぎたいが(48時間以上は逆に死んでいる腸が悪影響を及ぼす可能性があるため不可)、出血傾向やお体調次第では早く手術をする可能性もあるとのこと。母さんが待つ、お前が産まれた愛育病院に行き、母さんに経過を説明した。母さんは大泣きしていた…病院にお願いし、俺も病室に泊めてもらった。ただ、お前の容体が心配で一睡もできず、病院にも3回電話をかけた。何かあった場合は、俺の携帯に病院から電話が入ることになっており、ひたすら電話ががならない事を祈った。
10月16日(月)
病院にお願いし、母さんは2日早く出産から3日後に退院した。すぐお前の顔を見に行ったが、必死で頑張っているお前の顔を見て、母さんも勇気つけられたみたいだ。正式な面会時間はpm2:00-2:30とpm7:00-8:00なのだが、2:00の面会では先生が別の手術中で説明を受けられず、今日手術をするのか?容体はどうなのか?等一切わからず非常に動揺した。そんな時、先生が手術室から電話をかけてきてくれた。容体がよく、もう1日待って明日の夕方手術を行うとのことだった。
10月17日(火)
母さんの強い希望で、手術前にお前の出生届を役所に提出した。お前の名前は、「諒(りょう)」とした。諒が産まれる前から、僕らはりょうと呼びつづけており、迷わずこれに決めた。言葉の意味どおり、真実味のある、物事をはっきり言うまっすぐな人間になってほしい。看護婦さんにも報告し、今日からお前はみんなからりょうと呼ばれた。
pm2:00の面会で先生から説明をいただき、手術は早くて4時、遅くても6時からということになった。病院には、俺のほか、両おじいちゃんとみち子おばあちゃんが残り、まだ体調が完全でない、母さんと弘子おばあちゃんは帰った。なかなか手術室が空かず、先生も困り顔、俺らも先生にプレッシャーをかけ、なんとかpm6:30から手術が始まった。特にこのときのみち子おばあちゃんの先生に問い掛ける(48時間以内にならないとまずいのでは?)形相はすごいものがあった。当初1,5時間と言われていた手術だが、8:00になっても9:00になっても戻ってこず、結局戻ってきたのは、pm10:30という非常に長い大手術となった。主治医千葉先生の上司の真田先生から説明をいただいた。なんとか30cm残したが、全てが完璧に機能しているわけではないとのこと。今後1-2週間がやまであり、1.縫合不全、2.新生児黄疸、3.多臓器不全が大きな懸念点とのことだった。実は今回の手術前から黄疸の症状は発生しており、初期治療の光線療法は実施済みだった。ただ、黄疸を示す血液中のビリルビンの数値が下がらず、手術後すぐもう一つの対応策である交換輸血を実施した。帰って、手術は成功したが、非常に厳しい状況であることを母さんに伝えると、また大泣きしていた。ただ、しっかり2度の手術に耐え、それも20cmを復活させて戻ってきたお前の頑張りを誉めるべきと伝えると母さんも泣き止んだ。
10月21日(土)
午前中3度目の交換輸血を行った。これまで術後2日おきに3回実施した。予定通りの輸血であったが、なかなか黄疸の症状が治まらない。また腸の回復がいまいちとの事。腸に関しては、1-2週間レベルで見る必要があり、腸を回復させるためにもまずは黄疸を落ち着かせる事だ。
10月24日(火)
今日、光線療法も終了した。黄疸の心配はないとのこと。よくがんばった!諒!お前はやっぱり凄い!実は昨日体重を聞いたら、2,800gだった。術後2,500g台まで落ちていたが、交換輸血を止めた事と、昨日から点滴に栄養を入れていることにより、増えたとの事。先生からは2,000g前後までは落ちると言われていたので、2,800には驚いた。夜の面会で、俺だけ先生に呼ばれた。
先生の顔が険しかったので、悪い話ではと予想できたが、やはり腸の状態が思わしくなく、縫合不全と腸自体で壊死している個所があることが予想され、このままだと多臓器不全を起こす可能性があり、幸いなことに黄疸もなく容体はいいので、手術をするなら今との説明だった。少なくとも30cm以下になる事は確実で、長さによっては非常に厳しい状態になるとのことだった。とにかく1日でも長く生きるためにやるしかない!
10月25日(水)
今日の手術のことは母さんには伝えなかった。昨日で一週間経っており、母さんは諒の回復を前向きに考えていたし、母さん自体もまだ出産から完全に回復していないことから、決断した。am7:30に家を出て、8時に着くと、先生から手術は9:30からとの連絡をいただいた。合わせて手術の説明をいただいたが、再度一生点滴の可能性が高く、最悪10cmくらい切除することもあり得るとのことだった。昨夜の時点で、ある程度覚悟を決めていたが、さすがにこたえた。約2時間の予定であったが、結局3時間かかった。戻ってきた先生の口からでた言葉は、意外にもほとんど切らなかったということであった。縫合が上手くいってなかったことから、縫合部だけ約1,5cmを切除し、再度縫合したとのことだった。まさに奇跡だった!帰ってきた諒の顔色はほとんど変わらず、本当に諒の生命力の凄さに驚いた。また危険な一週間が始まるが、持ち前の生命力で乗り切って欲しい。縫合部が上手くいって欲しい。
10月26日(木)
午後の面会時間とのバランスを考えて、今日から朝の面会をam6:30に変えた。昼の面会に行くと、既に輸血を終了していた。全体的に安定しており、良い方向だと思う。夜の面会で先生から説明をいただいたが、劇的に数値がよく、安定しているとの事。3つの懸念(縫合不全、黄疸、出血傾向)のうち黄疸と出血傾向はまず問題ないとのこと。やはりポイントは縫合であり、今日現在では血液検査、腸からの排出量とも問題はないとのこと。
11月5日(日)
今日は、最後の朝昼晩3回の面会となりそうだ(実は、会社をもう3週間も休んでいる!)。お前の体調が非常によく、俺はもう手術は成功したと思っている。(実際には週明けに、造影剤を流して確認してからだが)次は、実際に腸へものを流して、徐々に腸が吸収してくれるのを期待するだけだ。徐々にでも吸収してくれれば、後は長期戦で、効率的に栄養を供給する方法を探せばいい。医学は急速に進歩しており、ここまでいけば間違いなくなんとかなる!腸へのものの供給は早くて今週末とのこと。それまではとにかく現状どうりいい状態で安定していてくれ。そして体力をつけてくれ。俺も、お前が良い治療を受けれるために、最善を尽くしたい。まず俺にできることはとにかく働いて金を稼ぐ事だ。お前が安定したおかげで、俺は働ける。というよりも、お前の強靭な生命力とがんばりを見せ付けられて、お前に負けないようにがんばらなければと思うばかりだ。明日からは昼は母さんだけで行くが(もちろん両おばあちゃんも)、勘弁してくれ。夜は、必ず会いに行くからな。今週には母さんに抱っこしてもらえるし、週末には腸へ始めて物が入るからな。
