平成19年5月29日(火)


昼近い朝、どこからかの電話で起こされた。
しまった、私宛のそれではなかった。

しかしSは私が目覚めたことを敏感に察知、
寝室に襲来、危うく布団から引っ張り出されそうになる。

頼む、もう少し寝かせてくれ。もう少しだけ放っておいてくれ。


葬儀を終え私が東京の家に着いたのは、昨晩遅く。
既に悲しみより疲労感の方が上回っていた。
(きっとそうなるまでワザと忙しくさせているんだろうな。)
今日も忌引き休暇中である。

しかしとてもよい子で留守番していたと聞いていたので、
ここは一つ褒めてつかわさなならん。
おママがなだめるのも限界に近い様子だったので、
私も覚悟を決めて起き上がった。



兄は自宅のベッドで冷たくなっているのを、奥さんに見つけられた。
脳溢血。
何の前触れもなく、きっと一瞬だったに違いない。

私は窮屈そうに棺に入っている兄と対面するまで、
どこか信じきれていなかった。
母(いつものババ)が兄の頭を撫でてやっていた。


私はここ何年か、兄との連絡を絶っていた。
理由は伏せるが、そうすることが向こうにとってよかれと信じてのことだった。
当然Sにも会わせた事はない。

それが享年四十三歳、こんな形で命尽きるとは思ってもいなかった。
いつも兄がSの事を心配し、気にかけていることは聞いていたので、
それだけはどうしても心残りだった。

通夜が終わり姉が、

「夫が電話でSと話したことを嬉しそうに話していたよ」

と私に言った。
どうやら兄が実家であるいつものジジババ宅に帰っていた時、
ジジババが兄を電話口に出させたらしい。(Sは大の電話好きである)

よかった、一度は会話をしているんだ。
少し私の心が救われた。


夜中のロウソクの火の番の時。
私は棺の前にグラスを置き、ビールをついで兄と乾杯をした。
兄と2人で飲むのは初めてかもしれない。

私は兄に心で沢山話しかけた。
涙が止まらず、声を噛み殺すだけで精一杯だった。

途中姉が心配して早めに交代に来てくれた。
姉にも思いを伝えることができた。
3人でまた、飲み直した。



翌日は告別式。
旅立ちの前に、棺の中に生前大切にしていた品々を入れる。
ふと昨日Sにてるてる坊主を持たされたのを思い出した。
我慢していたお酒と共に、棺の中に入れてやった。
きっと喜んでくれるに違いない。

出棺、そして荼毘(火葬)。

兄の肉体がこの世から消えてゆく。
空は晴天、雲一つ無い。
きっとてるてる坊主を持った兄が、天に昇って行ってるんだ。
戒名にふさわしい爽快で清々しい陽気だった。



私はSを膝元に呼び寄せようとしたが、呼べば呼ぶほどに近寄らなくなる。
それどころかダダをこねておママから離れなくなる。

(褒めてもらうのを)待ってるんだよと、おママ。
私から近づいてSを抱き上げ、良い子でいてくれてありがとうと頭を撫でた。

そして、

私「パパのお兄ちゃんを知ってるか?」

「知ってるよ。いつだったか、どこだったか忘れたけど、電話で話ちたことある。」

所詮、3歳児の記憶など。
しかし嘘でもいいから嬉しかった。
涙が溢れそうになり、私は遠くの景色を見ながら話を続けた。

私「パパのお兄ちゃん、死んじゃったんだ。
  でもSが作ってくれたてるてる坊主、持たせてあげたよ。
  Sのこと大好きだったから、きっと喜んでるよ、ありがとう。」

ぼろぼろこぼれる涙を見て、Sは驚いて私の顔を見つめていた。

私は兄貴の分まで生きてやる。
そう心に誓った。



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