平成19年12月31日(月)


名古屋4日目。


私は今日の午後、名古屋入り。
新幹線の席は同じく車両の一番前にしてみた。

確かに前が壁で圧迫感あり。
それに普通ある前の座席の後ろの網がない。
連結ドアの開閉も激しく落ち着かない。
この席は、確かに良くないな。

さぶい〜!
さすが、氷も張ってる。


このHPを開設してもう4年経った。
初めは趣味の魚の紹介から始まったが、生まれたばかりの第一子が生死を彷徨う事態に陥り、
子の日々の闘いを中心としたHPになるまでそう時間はかからなかった。

調子良いと思えばまた崩し、その日の体調は病院に面会に行くまでわからない。
状態が目まぐるしく変わる毎日で、誰かに子の調子について話すのは、
全く意味がない行為だった。

目の前の現実を受け入れることは難しく、
自分が自分でいることすら夢や空想とまで思える空間の中で、
口を開く気力を絞り出すことは到底不可能であった。

良し悪しは別にして、このHPは言葉は悪いが
いちいちのアップ&ダウンを親族・友人などに連絡する煩わしさを、
一気に解消してくれた。
おかげで説明責任の重責を逃れることができたのだ。

ノンの散歩も・・・。
どうもサマになってきた。




今のSの疾患は、小腸を大量切除した事による栄養吸収障害である。
この状態を「短腸症候群」という。

小腸大量切除に至った理由は、小腸が「絡まって」血が通わなくなり壊死してしまったためだ。
絡まったのは腸が捻れた(捻転した)ためだ。
これは「中腸軸捻転」と言われる。

なぜ小腸が捻れてしまうかというと、
胎児の期間形成期に小腸がお腹の中で上手く固定されなかったからだ。
腸は一度へその緒の中に飛び出て、くるくると回転しながらお腹に戻り、位置が固定される。
胎生6週から11週頃(妊娠1カ月から3カ月頃)に起こる出来事だそうだ。
この回転が不十分で正常な位置に固定されない、つまり「腸回転異常症」なのだ。

なぜこの腸回転異常症が起こるかは、まだわかっていない。
私のアタマでは、むしろここまで複雑な構造の人体がきちんと作られる方が不思議である。

Sが生まれた当時はそんなこと、全く知らなかった。
小腸がこれだけ重要で高機能な器官で、それを失うとどうなるかなんて、考えたこともなかった。

食べたもで体がつくられ、食べ物には生命を維持する栄養全てが詰まっていて、
健康が、家族の絆がこれだけ大切なものとは、
頭では解ってはいても実感することはなかった。


当時インターネットがとうに円熟期を迎えていたにもかかわらず、
小児の短腸症候群に関する情報は皆無に近いほど少なかった。
僅かに散見される情報は決して希望をもたらすものではなく、
むしろ闇は私達を押しつぶすかの如く、ますます深く重くのしかかってくるばかりであった。

親として、自分達の手が届かない次元にいるS。
なにもできない、何もしてやれない。
自分たちの無力さに藻掻き苦しみながら辿り着いたのが「社会認知」だった。
こういう障害があることを、多くの方に知って頂く。
この姿無き難病に対するささやかな抵抗であった。

近くの神社にお参り。

明日は明日で、初詣だ。


Sはおママの実家近くの産院で産声を上げた。
私が立ち会い、一段落して東京に戻ったがいなや状態が徐々に悪くなり、
すぐに病院に搬送、そして手術となった。

「一生固形物が食べられない」

そう告知されたときは、なんて運の悪ヤツなんだと思っていた。

しかし、しかし。
産院から連絡を受けた病院からは、
わざわざ小児科の先生が救急車に乗り込み産院に駆けつけてくていたのだ。
小児科の先生はSの様子を見て、迷わず病院に連れていく選択をしてくれた。

病院に到着もなかなか原因が分からず検査が続けられようとしていたところ、
たまたま当直で居合わせた小児外科の先生がSの様子を見て、
「猶予はない、検査よりも腹を開けよう」と提言してくれた。

何か一つでも欠けていたら、あと少しでも処置が遅れていたら、
果たしてどれだけの腸が残ったかわからない。

そして献身的で熱心な先生や看護師さん方は、
引き続きガッチリとSの命をその体につなぎ止めてくれた。
1年間、休日返上の総力戦だった。
そうしてバトンは短小腸のスペシャリストの先生に渡ったのである。


私達が初めて今の担当医と出会ったのは偶然だった。
噂や人脈を頼ったわけではなかった。
どこでも治療は同じだと思っていた。

「大丈夫、食べられるようになりますよ」

その言葉に思わず我が耳を疑ったのを、今でも鮮明に覚えている。
即、転院先をそこに決めた。

実は、Sは奇跡的な幸運の持ち主なのかもしれない。

続いて公園に寄るも、成果なし。

応用が全く利かないんだ、コイツ。


ついに昨年末に退院の日を迎え、Sとの家庭での生活が始まって、1年が経過した。
最初は戸惑うことばかりで、初めて経験することばかりで、毎日がそれこそ必死であった。
慣れたかな、と思えるようになったのが初夏頃、
落ち着いたかなと思えるようになったのが秋頃か。

但し子は子でリアルタイムに成長しているわけであるから、それなりの問題は日々勃発する。
とにかく私達には、またしても激動の一年であったことだけは確かだ。

時を同じく、治療はいよいよ最終段階、食事制限の解除が始まった。
アップダウンの荒波はとうに静まり、当時からは信じられないくらい滑らかな日々を送っている。
幼稚園、小学校と、先を見ることもできるようになった。

しかしこうなると、毎日のHPの更新は当初の目的にそぐわないばかりか、
逆に生活の一部を犠牲にするものになってしまう。
Sの治療が終わる頃、つまり胃ロウが不要になるまでおおよそ2年と見込まれている。
その頃が潮時だろうと考えている。

Sの夕食は軽くしておいて、

年越しソバ。


一般的にIVHから離脱できるとわれているという残存小腸の下限は、
回網弁が温存された状態で20cm、失った場合で40cmと言われている。
Sは回網弁が温存できず、また残存小腸も20cmを下回ったが、
徹底的な栄養管理により体を成長させ、残った腸を鍛え上げることでここまできた。

その治療に切った貼ったの派手な立ち回りはなく、
僅かずつコツコツと微調整を繰り返す、根気と栄養の知識による闘いである。
地味だが「理」に適った方法で、その効果はここをご覧の方には一目瞭然であろう。
そしてこれが短腸症候群治療の「最先端」なのだ。

実際には誰しもSと同じ治療が受けられるとは限らず、
それは「たまたま」入院した先、個々の医者依存の治療法であるという現実。
病院を移ろうにも、長距離を移動させる体力があるかどうか。
長期間の入院に、親の生活拠点はどうするのか。
そもそも長期ベッドを占有する患者を何人も受け入れるのも難しいだろう。

でも、そういうことを考えたらキリがない。

おソバだー!!

大喜びのS。


このマイナーな疾患で、藁を掴むようにこのHPに辿りつかれた方もおられるだろう。
一患者家族として経過と事実と生活・在宅看護ノウハウ、
あと自分で勉強した一般論程度を紹介するのがせいぜいだが、
何とか役に立てればと強く思う。

ゼロは何倍してもゼロである。
ゼロより僅かでも上回れば、それでいい。
とにかく、暗い水面に一石を投じられれば幸いである。

情報は整理されて初めてそれとして機能する。
後から何年か分の雑記にいちいち目を通せるわけがない。
このままじゃあ、宜しくないことは重々承知している。

2年後、Sの治療が終わり日々の更新を終了したら、
月イチくらいで近況と過去のまとめをしたいと思う。
必要に迫られないと動かないズボラな性格なので、どれくらい時間がかかるかわからない。
しかしせめてHP名を「月刊S」にでもしようかしら。

ノンも紅白歌合戦中に熟睡だ。


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